こんな怪しげなサイトを運営している奴の素性は気になると思うので、簡単な自己紹介をする。
このブログの方向性については、こちらの記事で。
読むべき記事10選はこちら。
幼少期
一番最初にプレイしたゲームは、スーパーファミコンのドラゴンクエスト5。
当時のスーファミは主人公の名前が4文字までしか入力できず、名前が5文字の俺は泣いた。
仕方ないので、5文字の名前を縮めてもじって「タロン」という名前にしていた。それが今の名前。
ドラクエ5には、有名な「ビアンカorフローラ論争」というのがあって、
- ビアンカ:
幼い頃から知り合いの幼なじみ。だけど、生まれは貧乏。 - フローラ:
会ったばかりで何の思い出もない。でも、お金持ちの生まれ。
多くのキッズたちは、お金よりもビアンカとの思い出を優先して、ビアンカと結婚する。
でも俺は、幼稚園児ながらお金に目がくらんでフローラと結婚し、ビアンカを捨てたので、友人からボロカスに言われた。
というか、社会経験のないキッズにこんな生々しい選択をさせるな任天堂。
ちなみにこの「ビアンカ or フローラ論争」は哲学や倫理の命題にまで発展しているので、ぜひ調べてみてほしい。
➡︎参考リンク
あと、この頃のスーパーファミコンはデコピンくらいの衝撃を与えるだけでデータが消えてしまうという欠陥商品で、何度もデータが消えて泣いてた。
今だったらリコールものやぞ、こんなゲーム機。
小学生時代
小学校の通知表には、「落ち着きがない」と書かれてた。
確かに、授業に集中してた記憶はないし、宿題もやらずに登校して先生を怒らせてた。
勉強はきらいで、外で走り回ってた記憶しかない。
唯一、読んだ本は『はだしのゲン』。
特に『はだしのゲン』は広島に原爆が落ちた後のグロ描写が気に入って何度も読み返してた。
今でもわりとグロ耐性があるのは、はだしのゲンのおかげ。ギギギ
この頃から、すでにテレビゲームにハマりまくり。
姉と兄が使わなくなったスーパーファミコンやゲームボーイアドバンスなどで遊んでた。
でも、当時の最新ゲーム機だった64やゲームキューブは姉と兄に独占されてなかなか順番が回ってこなかった。
末っ子はつらいよ。
父親もへたくそながらゲーム好きで、当時俺は怖すぎてプレイできなかった『バイオハザード1 (ゲームキューブのリメイク版)』を父親がやっているのをこっそり見てた。
『バイオハザード1』は登場人物が英語でしゃべるので、この頃から「英語=かっこいい」という洗脳が始まり、英語耳が育った気がする。
おかげで英語への苦手意識はあんまりないので、今でも『バイオハザード』には感謝してる。
中学生時代
中学では3年間ソフトテニス部に所属してたんだけど、これがおもしろすぎた。
テニスが、というよりは同じ部員の奴らとしゃべるのがおもしろかったんだけど。
しかし、あれだけ強い絆で結ばれてると思ってた部員も今となっては完全に音信不通なので、学生時代の絆は「秒速5センチメートル」のスピードでだんだんと薄まっていくんだ。それが人生。
多くの男子と同じように思春期を迎えてたんだけど、性への興味は薄かった気がする。
というのも、なぜか俺の中学校は女子集団の権力が妙に強くて、いつもいじられてたから女子集団への恐怖心の方が強かった。
ただ、ある日、いつも俺をいじってくる女子とたまたま話す用事があったんだけど、いつも強気なその女子が一対一で話すと別人みたいに大人しいことに衝撃を受ける。
「ああ、女子は集団では強いけど、一人になるとか弱いピクミンみたいな存在なんだな」と気づいたので今でも女子集団はちょっと怖いけど、一対一で話すことは緊張しなくなった。
中学3年間でも特に勉強に目覚めることはなく、親に無理やり通わされた塾も嫌で仕方なかったし、成績も上がらなかったので、今でも塾や予備校はきらい。
結局、中の下くらいの偏差値の私立高校に進学することになる。
高校生時代
高校でもテニス部に入ったけど、部員との絡みがつまらなくてやめてしまう。
「俺が好きだったのはテニスではなく、中学校時代の部員だったんだな」と悟る。
部活をやめたことで一気にヒマになったので、読書を始める。
そして、高校2年生の頃に貴志祐介の小説『新世界より』を読んで、脳内でビッグバンが起こったような衝撃を受ける。
たぶんこれを読んだ時の衝撃はもう二度と味わえない。
実際、これを超える本はいまだに見つからない。
俺にとっては聖書に等しい。
『新世界より』で、知識欲に目覚めた俺はもっと社会を知りたくなり、高2の夏というわりと早い段階で受験勉強を始める。
中学の頃に通ってた塾が嫌すぎて塾アレルギーになっていたので、塾や予備校には通わずに独学で受験勉強をしてた。
結果、当時の俺の偏差値ではE判定だった私立大学に現役で合格。
家に合格通知が届いた瞬間は、人生で一番嬉しかった瞬間かもしれない。
ドラゴン桜ほどの逆転劇ではないけど、俺としては人生で初めての成功体験だった。
ちなみに俺が合格した大学は、当時の5ちゃんねるに「〇〇大学の学長にホモが選ばれるww」というスレタイが立っていたことで有名なあの大学です。
大学生時代
大学受験はかなり上手に乗り切ったんだけど、その後は急速に下り坂に。
「社会を知りたい➡︎社会を動かしてるのは法律に違いない」という単純な考えで法学部に進んだんだけど、法律の勉強が予想以上につまらなかった。
受験勉強でリミッターを解除してがんばった分、大学では「燃え尽き症候群」になってしまい、大した成績も取れず、でも読書は好きだから授業と関係のない本を読むために大学図書館にこもるという陰キャラ生活を続ける。
弁護士は挫折
大学では、現役の弁護士の人と一緒に法律問題で困ってる市民を対象に無料法律相談会を実施するという何の遊びの要素もない意識高い高い系サークルに所属してた。
大学3年の頃、俺も実際に弁護士に同席してもらって無料法律相談会に参加したんだけど、その弁護士から嵐のようなダメ出しを受けて、いよいよ法律の勉強が嫌になる。
(弁護士にでもなれたらいいな、というはかない夢は司法試験を一度も受けないまま消えた)
ただ、市民から話を聞き出すのはうまかった自負があるし、その点は弁護士にも褒められたので、接客業か営業職の方が向いてるのかなとうっすらと感じた。
文学青年になってしまう
嫌々ながら続けていた法律の勉強も完全にやめてしまったので、いよいよ進路に悩む。
この頃、タイミングの悪いことにドストエフスキーの小説『地下室の手記』を読んでしまう。
プライドばかり高くて、地下室で「俺は悪くない。世間が悪い」的な責任転嫁の文章を書きまくるネラーみたいな主人公が当時の俺にそっくりで、読み終えた瞬間、あまりの衝撃に精神が死んだ。
これをきっかけに文学青年みたいになってしまい、就活は一切せずにひたすら実家か図書館で小説などを読みまくる生活がスタート。
大学4年生の1年間は、地下生活者みたいなカビ臭い暮らしだった。
ドストエフスキーのせいで就活をしなくなったので、これはドストエフスキーが悪い。俺は悪くない。
小説が好きな奴はだいたいそうだけど、俺も小説家になりたくて自作の小説を書いてた(イタタ)。
卒業式の1週間前くらいに大学の事務局から電話がかかってきて、「就職はどこに決まりましたか?」と聞かれたので、「就活してません」とだけ答えて切った。
途中でゼミもやめたし、卒業式にも行ってない。
希望に満ちあふれて大学の門を叩いたけど、4年後には「大卒」という立派な肩書きのついた無職男が生まれてしまった。
初めての日本脱出
無職の最大の強みは「日程調整能力」。
なんせ毎日が休日だから、どんな予定でも入れ放題。
この頃、LCCを使えばタイのバンコクに往復2〜3万円くらいで行けてしまうと知り、2週間のバンコク一人旅に出発。
これが初めての日本脱出になる。
就職などに行き詰まり「自分探しだ!」と息巻いて、物価の安い東南アジアに一人旅に出かけるパターンはけっこうあるけど、俺もその一人だった。
良くも悪くも現地のタイ人は仕事はテキトーだけどみんな楽しそうに暮らしてたし、もう何年もタイに住み着いてるという正体不明の日本人がいたりして、「人生なんて頑張らなくてもいいんだ」と思った。
でも、「俺はこいつらとは違う」と思いたかったのも事実。
自分よりも「下」に暮らす人たちを見たせいで、やる気が出たのかもしれない。
「就活をしよう」
━━そう決断した俺は、日本に帰国する。
就活やり直し➡︎2週間で退職
しかし、やっぱり就活に乗り気になれなかった俺は最初に面接を受けたわけのわからない不動産会社の営業職に就職を決めてしまう。
実はこの会社、企業のコンプライアンスが重視されはじめた最近では珍しいくらいのブラック企業だった。
もちろん入社して最初は真っ白な新卒だからということで、上司も先輩もやさしくしてくれたんだけど、
- スーツを着るのが嫌
- カラオケで歌わされるのが嫌
- 上司がことあるごとに「社員は家族だ」と言ってくるのが気持ち悪い
━━という理由で、2週間で退職。
上司に電話で退職の意思を伝え、翌日、退職届を提出した。
今思えば、いくらブラック企業とはいえ半年くらいは勤めないと何の経験にもならないし、何よりブラック企業で働いた経験はネタになるんだから、もうちょっと働いておくべきだったと反省してる。
最初に入った会社を2週間で辞めた後は、もう一度正社員になる気がせず、アルバイトや派遣社員の立場を転々とすることになる。
経験したバイト・派遣社員の種類はアホみたいに多い。
・看板屋の作業補助
・自動販売機の補充
・長距離トラックの横乗り
・農家で田んぼへの農薬散布
・イベントスタッフ
・試験監督
・塾講師
・カフェ店員
・コンビニ店員
・書店店員
・クレジットカード勧誘員
・GIGAスクールサポーター
・野球場でファールボールが飛んできたら笛を鳴らすスタッフ
半年続いたものは一つもない。
そしてこの頃、毎日本を読んで文章を書いている俺を見た友人が「どうせ文章書くならブログでもやってみたら?」との一言がきっかけで、このブログを始める。
自分で書いた文章がネットでお金になることに衝撃を受けた俺は、ブログにどハマりして今になるまで続けてる。
その友人には感謝しかない。
家電量販店に就職
アルバイトは広く浅く世間を体験できる反面、給料が安すぎる。
「もっと深く仕事がしてみたい」と思った俺は、パソコンが好きという単純な理由で家電量販店に就職。
ここが意外と俺に合ってた。
接客は好きだったし、何より自分の好きなパソコンという商品を扱えるから毎日が楽しかった。
他の店員とパソコンについて語るのもいい情報収集になったし、そこそこ販売成績もよかった。
でも、ある日、パソコンコーナーから洗濯機コーナーに異動させられることが決まった。
「総合職だから、いろんな商品を扱わないといけない」というのが会社側の理屈なんだけど、洗濯機にみじんも興味がなかった俺は大反発。
結局、接客業にもやや飽きてきたこともあり、また退職。
とはいえ家電量販店の勤務は俺にすごく合ってたから、機会があれば再就職してもいいと思ってる。
半導体メーカーに就職➡︎アメリカで病む
ずっと文系で過ごしてきたので、理系の仕事がしたいという気持ちが急に出てきた。
家電量販店でパソコンを売る仕事をしてたので、「パソコンに入ってる半導体ってなんなのよ?」というこれまた単純な志望動機で半導体のメーカーに転職。
当時は半導体不足の世界情勢でとにかく人手不足だったから、意外なくらいの大企業に転職できた。
この仕事では、3ヶ月のアメリカ出張を経験したんだけど、それが地獄だった。
アメリカ出張中の地獄はカテゴリーとしてまとめている。▼
- TOEIC860あるのに、現地のアメリカ人とコミュニケーションできない。
- 慣れない理系の仕事。
- 慣れない異文化圏アメリカでのホテル生活。
- クソ上司
━━とい四重苦が重なり、完全に病んでた。
ようやく日本へ帰国する日を迎えた時はほんとに嬉しかった。
日本脱出には完全に失敗した。
日本がいちばんですよ、いやほんと。
そして、このメーカーも早期退職。
アメリカ出張から帰国して1ヶ月後に退職届を出した。
「そんなんじゃどの会社行っても通用しないぞ」と上司から捨て台詞を受け取ったので、ゴミ箱に捨てた。
地獄のアメリカ出張については、kindle本を書いたのでぜひ読んでほしい。
Kindle本発売中
半導体メーカーに潜入し、3ヶ月のアメリカ出張に行った時の暴露話を書きました。
海外出張に興味のある人や、製造業で働いてみたい人は必読です。
超リアルでカッコ悪い潜入記&暴露本になっているので、ぜひどうぞ。
転職活動中⬅︎今ここ
というわけで、今は転職活動中。
我ながら一つの会社に定着できない腰の据わらない男だし、完全にジョブ・ホッパーになっているのはさすがにヤバいかもしれない。
ちなみに次はIT系の会社を狙って転職活動をしております。
生暖かい目で見守っていただけると助かります。
最近は、ネットワークエンジニアに転職しました。
お知らせ
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100年後に評価されたらいいな、という気の長いチャンネルです。
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サブブログとして書評ブログもやっています。TOEIC860の英語勉強方法もここで解説してます。