最近、太宰治の小説を読み返していると、ふと気づきました。
太宰治の文章は70年以上前に書かれたものなのに、読みやすい。
太宰治が今でも人気の理由は、小説のおもしろさだけでなくて、「文章の読みやすさ」にもあります。
太宰治の文章が読みやすい理由とは……。
ブロガーの人や、読みやすい文章を書きたい人はぜひ読んでほしいです!
1.読点が少ないと文章は読みにくい
読点って普段、意識していますか?
念のために言っておくと、読点とは「、」のことです。
「。」は読点ではなく、句点なのでご注意を。
句点を打つのに悩むことは少ないけど、読点をどこに打つかで悩む人は多いのではないでしょうか。
句点の打ち方って、学校教育でもあまり習いませんよね。
とりあえず、この辺で読点を打っておくか、という感じで今まで文章を書いてきた人がほとんどでしょう。
僕もそうです。
他の人のブログを見ていると、読点が少ない文章をよく見かけます。
読点が少ないと、文字がぎゅうぎゅう詰めになっているように見えて、すごく読みにくくなります。
これは僕の偏見ですが──
頭がいい人ほど、読点が少ない文章を書く傾向があるような気がします。
頭のいい人は、長い文章を読み書きすることに慣れていて、読者はこれくらいの長い文章なら読めるだろうと思いこんでしまって、読点を少なくしてしまいがち
2.太宰治の文章は読点が多い
太宰治の文章には、読点が多いです。
有名な作品である『斜陽』や『人間失格』の文章を見てみましょう。
太宰治の文章例① 『斜陽』より
「恋、と書いたら、あと、書けなくなった」
『斜陽』より
女が男にラブレターを書こうとする場面の文章です。
当時の他の作家なら「恋と書いたら、あと書けなくなった」と書いたかもしれませんが、太宰治は違います。
音読してみると分かりますが、「恋、と書いたら、あと、書けなくなった」
というのは、声に出して読みやすい。
読点を呼吸の切れ目に配置することによって、格段に読みやすくなっていますし、見た目のインパクトも上がっています。
並べてみると、ほら。
「恋、と書いたら、あと、書けなくなった」
「恋と書いたら、あと書けなくなった」
どっちが好きかは好みによりますが、僕は⬆︎の文章のほうが好き。
⬇︎の文章はインパクト不足。
普通の文章を書くときには⬇︎の文章を使って、
ここぞという時には⬆︎のような文章を使うと、効果的かもしれません。
太宰治の文章例② 『人間失格』より
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
『人間失格』より
『人間失格』の有名な最後の文章ですが、読点を使いまくってますね。
読点を使うことによって、悲痛な感情がにじみ出ていて、読みやすい。
おそらく、太宰治は読者に音読してもらうことを意識して書いてますね。
自分が読めればいいという独りよがりな文章ではなく、読者にとって読みやすい文章を書き続けた太宰治。
太宰治が、現代に生きてたら、良いブロガーになっただろうなあ。
3.女装が得意だった太宰治
太宰治の小説には、女性を主人公にしたものが多くあります。
当然、主人公が女性ですから、その行動や思いまで、すべて女性の視点から書いています。
『女生徒』という短編は、ある年頃の女子学生の1日を描いているのですが、「なんでこんなに女性の気持ちがわかるんだろう?」と僕は驚きました。
(当然、僕は男なので女性の本当の気持ちはわからんけど)
とても男性作家が書いているとは思えません。
太宰は文章を女装させることが得意だったのです!(現代でいうネカマの才能あり)
太宰治は、女性の気持ちがよくわかる人でした。
だから、私生活でも女にモテまくり。
女性の気持ちに立った文章を書けるというのは、ライターにとって最強の強みです。
男からすると、もっとも理解不能に思える女性の視点に立つ文章が書けるなら、他のどんな立場の人間の視点からも描けますよね。
歴史上かつてないほど、文章を書くスキルが求められているネット社会の現代。
人の気持ちにたった文章を書くスキルを、太宰治から学びたいですね。
まとめ
太宰治を知らない人でも、彼の文章力のすごさが伝わったでしょうか?
ちなみにこの記事、普段の僕の文章よりも、読点を多くしてみたのですが、どうでしょう?
読みやすかったですか?
いきなり太宰治の猿真似をしても、うまくいくわけないけど、少しでも読みやすくなっていれば嬉しいです。
では、みなさん、これにて、ごきげんよう。