今回は俺が結婚と子供について思うことを書く。
25歳にもなると、昔の知り合いが結婚し、子供も産まれたというおめでた報告をされることが徐々に増えてきた。
正直、結婚式自体嫌いだし、友人の結婚式に参加すると「ご祝儀」という名の罰金をとられるのが意味不明だと思う。
とはいえ、結婚と子供は人生の主要テーマなので考えないわけにはいかない。
真剣に考えてみよう。
1.結婚はしたいけど子供はいらない
いきなり結論だけど、
━━これが俺の結論。
ではなぜ、結婚はしたいくせに子供はいらないのか?
軽い考えで言ってるわけでないので、以下でしっかりと説明する。
結婚はなかったことにできるが、子供は生まれなかったことにできない
人生のライフステージとして、「結婚と出産」は当然のハッピーセットのように思われているけど、両者の性質はぜんぜん違う。
結婚は、いつでも離婚することが可能だ。
いつでも好きな時に役所に離婚届一枚提出すればいいのだから、携帯を機種変する手続きよりもかんたんかもしれない。
しかも、結婚はするのもかんたんで、婚姻届一枚提出すればいいだけ。
めんどくさい結婚式や親との顔合わせは絶対の義務ではない。
つまり、結婚はするのもかんたんで、離婚するのもかんたん。
さらに分かりやすく言うと、
━━ということ。
(ま、もちろん、浮気による慰謝料や財産分与でドロドロに揉めるリスクはありますが)
これに対して、出産はどうだろう。
子供を産むということは非常に大きな決断になる。
子供を産んでしまってから初めて、自分が子供が好きではないことに気づいたら?
自分に子育ての才能がないと気づいたら?
子供に重い障害があることが判明したら?
結婚なら、軽い気持ちで結婚して一緒に暮らしてみて「あ、こいつムリ」と思ったら、かんたんに離婚してリセットできる。
しかし、「子供産んでみたけど、やっぱ子供いらんわ」となっても、子供をリセットすることはできない。
育児放棄して行政に保護してもらうとか、養子に出すなどの手段があるとはいえ、日本は育児に対しては非常にナーバスな風潮で、「子供を捨てた」となるとどんな社会的制裁を食らうかわからない。
軽い気持ちで結婚した人が同じく軽い気持ちで子供を産み、子供の予想外の手のかかりように耐えかねて育児放棄してしまう。
世の中にはそんな親も多いはず。
結婚と出産はまったく別物なので、この2つをハッピーセットで考えていると痛い目に遭う。
・結婚=「可逆的」(いつでもリセットできる)
・出産=「不可逆的」(リセットできない)
結婚が「赤い糸で結ばれた運命の人(いつでも切って他人に戻れる)」のに対して、出産は「鉄の鎖で結ばれた運命の人(切ることはできない)」なのだ。
赤い糸なんていつでも切れるけど、鉄の鎖は切れない。
俺自身、結婚はしたい。
好きな人と暮らすのは楽しいだろうし、合わなければいつでも離婚して他人に戻ればいい。
でも、俺は子供を持ちたくない。
他人の子供はかわいいと思うけど、自分と似ている子供なんて気持ち悪いし、「自分が子育てに向いていない」ことがわかってもリセットできずに、長い間、子供に縛られつづけるのきつい。
結局のところ俺は臆病者で、リスクの低い結婚はしたいけど、リスクの高い子供は持ちたくない。
俺はもしかすると、自分のことしか考えてないのかもしれない。
*
*
*
「人生、リスクをとらないと成長できないよ」
━━こんな意見もよく聞く。
確かにそれは半分正解で、実家を出て引っ越すとか、転職して海外で働くとか、そういうリスクは若いうちに積極的にとっていくべきなのは間違いない。
しかし、それは自分でリスクの責任を負える範囲での話のはず。
子供の場合はちょっと事情が違っていて、リスクをとるなどという気持ちで、将来不幸になるかもしれない子供を産んでいいものなのか。
俺は、「自分でリスクを背負えるならなんでもやっていい。でも他の人の命を巻き込むリスクには慎重になるべきだ」という考えだ。
今の俺からすると、結婚というリスクは背負えますが、子供を持つというリスクは背負えない気がする。
もちろん、子供を産みたい人はどんどん産めばいいと思う。
人類の大半の時代では、子供が将来不幸になることなんて考えずにとりあえず子供を産んでみたという親がほとんどだろうし、むしろそれが生物の進化として正しい。
でも、俺は子供が欲しくない。なぜならリスクが高いから。
ということで、冒頭でも書いた、
━━という結論に戻ってきましたね。
2.それって反出生主義?
こういう考えを説明すると、「反出生主義」かと思われそうですが、ちょっと違う。
反出生主義を研究している森岡正博さんによると、
・反出生主義はすべての女性に「産む権利」がないと考える思想。
・「自分には子供がいなくていい」と考える思想は、チャイルド・フリーという思想であって、反出生主義ではない。
━━ということらしく、つまり「俺には子供はいらないけど、子供が欲しい人はどんどん産めばいいと思うよ」という俺の考えは、反出生主義ではなくてチャイルド・フリーという思想だということになる。
「俺は子供はいらない」と言うと、「反出生主義」かと思われがちだけど、そんな過激な思想は俺は持ってない。
産みたい人は産めばいい。
でも産みたくない人が、それを理由に社会から冷遇されるべきではないと思っている。
【まとめ】
俺の結婚観と子供観について紹介したけど、めんどくさいことを考えるやつだな、と思われたかもしれない。
VUCAという言葉があって、要は、
今は変化の激しい時代なので、社会情勢もあっという間に変わる。
数年後には「子供を産んだら無条件で1,000万円がもらえる」とか「子供を試しに産んでみて、合わないと思ったらかんたんに養子に出すことができる制度」ができるかもしれない。
前提条件が変われば、俺も子供を持つことに前向きになるかもしれない。
社会なんてコロコロ変わるし、それに合わせて人間の考えもコロコロ変わっていいのよ。
さんざん「子供はいらない」と言っていた友人が、ちゃっかり子供を産んで親になっていたとしても、暖かく祝福してあげよう。
参考文献
・反出生主義を研究している哲学者、森岡正博さんの本。
「生まれてこない方がよかったのか?」という問いに答えるのは、やはり哲学しかない。